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Greetings

代表あいさつ

はじめまして!

松木忠勝

はじめまして!
有限会社松木建設、代表の松木忠勝(まつぎただかつ)です。

当社は1969年、昭和44年に南国市で私の父が創業した会社です。
現在は私が2代目として、地元の皆さまに支えて頂きながら活動しています。

今、人口5万人足らずの南国市だけでなく、
香美市や香南市、高知市でも少子高齢化がどんどん進んでいます。
この影響は建築業界でも深刻で、ご自宅のメンテナンスを行う大工さんも
高齢化を理由に廃業する方が多くなっています。

そのせいか、私たちもお客様から
「近所の大工さんがいなくなってしまった」
という声をよく聞くようになりました。

松木建設の普段の仕事は、まさに「近所の大工さん」としての業務が大半です。
実際にOBのお客様が2度、3度とご依頼してくださるだけでなく、
頼れる大工さんがいなくなってしまった方からご依頼をいただくケースも増えています。

当社では床の張替えや蛇口の交換、棚の造作のような小さな工事だけでなく、
トイレやキッチン、お風呂のリフォームなども行っています。

新築や曳家(ひきや)のような大掛かりな工事もできるので、
地元の方々のご自宅のお悩みはほとんど解決できるはずです。

ですから本音を言えば
「もっと、近所の大工として気軽に利用していただきたい!」
と思っています。
でも私たちのことがよく分からなければ声をかけづらいですよね。

そこで、今から簡単に私の自己紹介をしますので良ければ参考にしてみてください。

ちなみにお客様のご自宅には私、松木がお伺いすると思いますが、
実際の私は口下手です。そこだけはご容赦いただけると助かります。

松木建設:高知県南国市、新築リフォーム
松木建設:高知県南国市、新築リフォーム

学生時代

中学校まではサッカー漬けの生活を送っていました。

小学生時代は高知県で2位か3位くらいまで勝っていけるチーム、
中学校も県大会で準優勝と強いチームのレギュラーでしたが、
記憶に残っているのは楽しさよりもしんどかった思い出ばかりです。

スポーツの強豪チームで活躍する人たちは、
猛練習に耐えることすら楽しんでいると聞きます。
それを考えると、今振り返ればそこまでサッカーが好きではなかったのかもしれません。

ちなみに中学校の運動会で団長も務めましたが、これも推薦で回ってきた役割でした。
経歴のわりに自主性が足りない生徒だったと思います。

高校に入ると、友人に誘われて自転車競技部に入部しました。

ここでは部活だけでなく、一般のチームにも入って競輪選手を目指して毎日練習に励んでいました。
おかげで高校総体にも出場できましたが、
2年生の時に朝練で一般道を親にバイクで牽引してもらいながら走っていたときに転倒。
「総体選手が意識不明の重体」と新聞に載るほどのケガをしてしまいました。

幸いにも復帰できてバイクも新調し、その後は国体への出場も決まるなど順調だったのですが…。
前回の事故から2ヶ月後、また朝練中に事故を起こしてしまいました。
今度は意識がありましたが凄く痛かったのを覚えています。

救急車の中で「おまえ、この前も乗ったろうがよ」と言われて
悔しくて泣きました。これをきっかけに私は競輪選手を目指すのを諦めます。
とはいえ部活の自転車競技は凄く楽しく充実していました。

社会人

社会人になった私は、現場監督の見習いとして大阪の大手ゼネコン会社に入社しました。
建築業界を選んだ理由は、やはり父の仕事ぶりを見ていたからだと思います。
建築業界に飛び込むのは自然な流れでした。

入社した会社はとても忙しく、現場に2時間かけて出勤、
21時以降も残業するのが当たり前という職場でした。
私もあまりに遠い現場では民宿に泊まり、
突貫仕事の現場では帰る時間が惜しいのでよく現場事務所に泊まっていました。

それだけ働いたおかげで、短期間でたくさんの仕事を覚えることができました。
体力的にはキツいですが仕事も嫌ではなく、良い経験をさせてもらえたと思っています。

父の会社へ

ゼネコン会社で現場監督として経験を積んだ後に、私は父が棟梁を務める松木建設に入社しました。

松木建設は在来木造住宅(日本建築)を大工7名前後で施工している会社です。
私も最初は大工見習いとして入りました。
私が今もお客様宅で自ら大工仕事を行うことができるのはこの時の経験のおかげです。

この時の私は建築の仕事をもっと覚えたい気持ちが強かったので、資格の勉強も頑張りました。

24才のときに宅地建物取引主任を取得し、28才で1級建築士の資格を取りました。

製図試験に一度で合格できずに1級建築士の取得には苦労しましたが、
この時に学んだ知識は今も仕事で役立っています。
諦めずに頑張って良かったです。

この頃には会社が日本建築だけでなく洋風住宅も手がけるようになったこともあり、
新築の案件が増えていました。
私も大工仕事だけでなく製図や見積り、監理の仕事を多く担当していました。

そして私が36歳のときに、1億円を超える価格の新築物件を父から任されます。

代表に就任

この新築物件を成功させるために、私は何度も何度も図面を書き直してお施主様に提示しました。

そのかいもあって話がまとまり、いざ契約というタイミングでお施主様から「身内に不幸があった」
と連絡があり、なぜかその後も連絡がつかなくなりました。
ガッカリしたものの日々の忙しさで忘れかけていたある日、警察が事務所にやってきます。
実はこの案件がいわゆる「建てる建てる詐欺」 だったらしく、
その施主が捕まったとの事でした。
幸いにも当社に金銭的な被害はなかったですが、警察の捜査が遅れていたら危なかったと思います。

この1件がキッカケだったのかはわかりませんが、
このタイミングで父親は「ワシは引く、会社はお前がやれ」とあっさり経営から退きました。

地元のお客様とのご縁を感じる

代表に就任したものの、私が行う仕事は以前とそれほど変わりませんでした。

というのも、OBのお客様からのご依頼やご紹介が多かったのです。
父の代からお付き合いのあるお客様も多く、
いただいたお仕事に対応しているだけで会社の経営が成り立つ状態でした。

たくさん広告を打って仕事を取っている会社も多い中で、 OBのお客様からのご依頼だけでもやっていける。 本当に「地元の方々に支えられている」ことを日々強く実感しています。

あれから、約15年。

冒頭でお伝えしたように、
近所の大工さんがいなくなって困っている方が増えたと感じています。

これまでの松木建設は、大工仕事や小さな作業は
「頼まれたらやる」というスタンスでした。
ですが会社の資料を見直したところ、
8人に1人の割合でその後にリフォームなど
大きな工事を依頼してくださった方がいることがわかりました。

このペースを保つことができれば、経営は成り立ちます。

このような経緯もあり、
現在当社では「お困り事があれば対応します!」
積極的に地元の皆様に発信しています。小さな大工仕事から新築まで、
お困りごとがあればどうぞお気軽にお問い合わせください。

松木建設はあと数年で創立60年を迎えますが、
70年、80年、100年目を迎えても
地元の方々の近所の大工として活動していたいと考えています。

これからもよろしくお願いいたします。